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2008年1月21日 (月)

紅葉の錦

背景はなぜ紅葉か。これは、僕が尾崎紅葉という小説家が好きだから。
かつては明治文壇の第一人者と仰がれたほどの人であるのに、今では読む人はまれである。彼は大勢の門下生に見守られた死の床で、「七生生まれ変わって文章のために尽くす」とか言ったとか。しかし大家として時代の頂点にいた頃から、文章技巧にばかり意匠を凝らしていて世の中や近代的な自我を真に写し出しえていないという批判はあった。国木田独歩は彼の作品を「洋装せる元禄文学」と評した。そして時の流れは紅葉の作品を真の近代小説として認めず、人々をして彼の遺業を忘れしめたのだとさ。

僕は忘れ去られたものや栄華を極めて没落した人に対して興味を引かれる傾向がある。他にも、世間から埋もれてしまう人、自我を保ちきれずについに自滅した人、敗者。

話は変わりますが、僕は虚栄心が強い。他人に批判されたりすると、その人は自分のことを知らない、解ってないのだと思い込んで逃げてしまう。しかし、自分の弱さを他人に直接指摘されるのではなく、自分を度外視した他人の言動によって自分の弱さに気付かされた時の衝撃は、言葉にならないですね。愕然とするのであるが、不思議と嬉しい気持ちがどこかにないでもない。
日頃自分のことを意気地無しだとか、言うことが上っ面だとか、予め自分の弱さが露顕した時のために保険をかけるようなことを言ってるわけです。ところが、いざ自分がそんなふうに言っていたことを現実として裏付ける証拠を突き付けられたとき、それらは自分をより小さく見せるためにしか働かない。

ところで、この鉄槌の衝撃で打ち砕かれた自我を順に組み立て直さなければならない。自分を見つめなおそうと思います。つまり、自分について書いていこうと思います。

僕は周りの影響を受けにくい方だとは思う。鈍いということもあれば自我意識が強いとも言える。しかし、自分が多かれ少なかれ尊敬していると思ってる人々からは、やはり影響を受けるんですな。

文章を書く際、必ず修辞志向が先に立つ。どうしても寸鉄急所を突くような気の利いたことを言ってみたいと思ってる。それが好きだからでもあるんだが、そろそろ僕も少しは真面目になりたい。小手先の言葉遊びも好きだけど、人生の真に迫った文章が書けたらな。書くほどの人生経験はないけどね。

しかし虎は野に放たれたのである。うかうかしてはいられない。

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